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書く事、思う事、読む事

小説や、小説・文章についての考えを書くブログです。読んだ小説の感想も書きます。
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小説を書く時、役立つツール
 小説を書く時役立つソフトに、アウトラインプロセッサがある。アウトラインには、あらましやあらすじという意味があって、つまりこれは全体の構成を書くソフトなのだ。
 アウトラインプロセッサでは、文章を構成する段落を初めに決め、段落ごとに詳しく書いていく。段落はツリー表示され、全体の構成が一目でわかる。下の図はこの文章を書くために使ったものだ。
アウトラインプロセッサ
 構成を考えて書けば緻密で整った文章になる。無駄なことを書いたり、同じことを繰り返し書いたりせずに済む。文章が長くなるほど違いは大きい。
 普通に書いていては段落の整理が難しいし、長い文章だと何処に何が書いてあるか分からないことさえある。このソフトなら、何処にどんな事が書いてあるかは一目瞭然だし、段落も簡単に、入れ替えたり、増やしたり、消したり、分類したりできる。
 お勧めのアウトラインプロセッサは、「StoryEditor」だ。プロにも使っている人は多いと言う。機能が豊富で、段落の大きさによってマークが変わって見やすい。中でも様々な形式のファイルに出力できる、書き出し機能はとても便利だ。
 アウトラインプロセッサだけで書いてもいいが、テキストエディタと連携しても使える。アウトラインプロセッサでプロット(骨組み)を作り、テキストエディタで肉付けをする。そして書いた文章はアウトラインプロセッサに組み入れて整理しやすくしておく。
 段落ごとに見るのと、実際につなげて見るのとでは違いがあるし、文章を扱うのはテキストエディタが上手だ。構成はアウトラインプロセッサ、書くのはテキストエディタと分業すると好い。
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冨樫義博先生
 冨樫義博先生は『週刊少年ジャンプ』で「ハンター×ハンター」を連載していらっしゃる漫画家であります。長らく休載しておられたのを昨年の十二月に十週だけ連載されまして、また休載という運びになっておりましたが、今日発売の『週刊少年ジャンプ』で再開されたということです。
 『週刊少年ジャンプ』は買いませんでしたけれども、明日発売の単行本は買うつもりです。愛読しております。
 画力の高いことは申すまでもありませんが、先生の漫画の好い所はただのバトル漫画に終始していないことであります。今お描きになっているのはキメラアントという怪物と戦う話でありますが、この怪物がただの化け物ではなくて、人格を持った別の種族として描かれている。
 先生は『レベルE』や『幽遊白書』でも、人間と人外の対立或いは共存を描かれていますが、この話も同じ流れを汲むものと申してよい。
 一度テーマを決めても、長く書くうちにぼやけてしまったり、他のものと混ざってしまったり、変質してしまったりすることがありますが、先生は違う。一度決めれば、外れることはないのであります。
 絞り方も上手い。テーマが重要なのは、何を書くかの指針になるからでありますが、同時に何を書かないかの指針にもなる。テーマがよく絞れず、ぶれてしまうと、必要のない事まで書いてしまいます。
 一連の流れを見るに、全てがテーマのうちに収まっているし、ぶれがない。無駄のない構成であります。このような先生の高い構成力は、漫画だけにとどまらず様々な方面で尊敬に値すると思います。
文章を短くする
 ブログ文章術 米光一成|Excite エキサイト ブックス : 一文を短くって言うけどさ1 を見て。

 文は短く書け、とよく言われている。これを鵜呑みにして、とにかく短く書けば好いのだと盲目に信じているようではいけない。その理由を知っておくべきだ。
 往々にして長い文は意味を取りにくいために、悪文となる。また必要以上のことを書いて、言葉を浪費しがちだ。そこでいらない部分を省いたり、構造を整理して文を分けたりする。これが短くするということだ。
 さて、例文を引用して実際に文を削ってみる。
「姉はぼくが宮藤官九郎が『吾輩は主婦である』という昼ドラの脚本を書くことを知らなくて驚いた。」
 分かりやすい悪文だ。主語が三つ続いて意味が取りにくいし、調子が悪い。
 文の意味を整理してみる。
 一、姉はぼくに対して驚いた。
 二、宮藤官九郎は「吾輩は主婦である」という昼ドラの脚本を書く。
 三、ぼくはそのことを知らない。
 四、だから姉は驚いた。
 この文はこれだけのことを言っているのだ。ただ短く書くだけなら、上の一から四をつなげるだけで好いが、それではゴツゴツとした文になってしまう。一文で書くなら、

宮藤官九郎が「吾輩は主婦である」という昼ドラの脚本を書くことを、ぼくが知らないので、姉は驚いた。

 二文が分かりやすいだろう。

宮藤官九郎は「吾輩は主婦である」という昼ドラの脚本を書く。ぼくがそれを知らないので姉は驚いた。

 ただ整理するだけでは限界があるので、技巧を加えてみる。

宮藤宮九郎が「吾輩は主婦である」という昼ドラの脚本家をすることは知らなかった。姉はそれで驚いた。

 不要な主格を省き、「脚本を書く」を名詞にした。これは一文を短くした例だ。次はまとまった文から、意味の重複や不要な部分を省いてみる。

宮藤官九郎が昼ドラの脚本を書くって、姉に教えてもらってはじめて知ったんだけど、姉は「何で知らないの!」って驚いてるぐらいだから、けっこうみんな知ってるんだろうけど、知らなくて、しかも「吾輩は主婦である」ってタイトルで、金の心配をしすぎて夏目漱石が宿ってしまった主婦が家庭やご近所トラブルを解決するって設定らしくて、吾輩は期待で胸がドキドキである。

 下線部分を見てほしい。この四つは意味が重複している。また「金の心配をしすぎて」なんぞは意味がはっきりしない。余程貧乏なのだろうか。文脈からすると、ケチの意味で使っているとも考えられる。とにかく書き直してみる。

 宮藤官九郎が昼ドラの脚本を書くって、姉に教えたもらったんだけど、「何で知らないの」って驚いてたから結構有名なのかな。「吾輩は主婦である」ってタイトルで、夏目漱石が主婦に宿ってトラブルを解決する話らしい。吾輩は胸がドキドキである。

 文章の含蓄でも書いたが、意味の重複する所に気を付けると文を短くできる。また意味をあまり明確にしない方が品がでて好い。
 最後に課題に挑戦してみる。

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済[(*1)]だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

 絶妙な課題だ。下線部から意味が取り方がわからず、悪文になっている。しかし何とも言えない気色に富んでいて、味がある。手を加えるべき箇所は一つだ。

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出せば、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

 文章の問題に正解はないが、あえて言えばこう書くのが正しい。正解を一つに絞ることは難しい。見事な課題だ。
 さて、小説をよく読んでいる人は句読点の打ち方が太宰治に似ていると思ったかもしれない。検索してみれば太宰治の『女生徒』という小説だった。原文はこうなっている。

あ、そうだ。ロココ料理にしよう。これは、私の考案したものでございまして。お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。

 「ロココ料理」について説明していたことがわかる。深い課題だ。
 文章は無暗に短くすればいいわけではない。わかりやすくすることが大事だ。そのために文を削って、短くする。短くしようと思って、短くするのではない。

記事内注釈
(*1)経済 ここでは倹約の意味。
はてなブックマーク~小説家に便利なサイトのまとめ
 はてなブックマークという便利なサイトのあることを知った。皆でお気に入りのサイトを公開しあうという趣旨で、その中から検索もできる。使ってみたら予想以上に便利だったので驚いた。
 その成果として、文章を書く上で役立つサイトを紹介しようと思う。

  • 青空文庫
     著作権の切れた小説を掲載しているサイトだ。好い小説をただで読める事はうれしい。夏目漱石や森鴎外といった文豪の小説が読める。暇つぶしにも好い。
  • Weblio|辞書一括検索<国語辞典・国語辞書・百科事典>
     多くの辞書で一括検索できるサイト。辞書は小説家にとってなくてはならぬものだ。今時分は一クリックで検索できるweb辞書があるから便利だ。この辞書は総合的で、専門的な辞書や用語集からウィキペディアまでと検索できる範囲が広い。
     欠点としては国語辞書の性能がいまいちだ。載っている意味や用例が少ない。類語辞典も偏りがある。例えば「清い」で類語検索してみると、意義別に分類されてたくさん出て来るが「清浄」で検索すると三つしか出ない。いつも使っているyahoo!辞書では10語くらい出る。
     なので国語辞典というよりは百科事典として活用すると好い。
  • なんちゃって個人情報
     不穏な名前のサイトだが全くやましい所はない。ランダムに偽の個人情報を出力するサイトだ。小説家にとっては、名前を考える手間が省けて便利だ。年齢や性別、誕生日まで出してくれるのでそのまま使うこともできる。ただし日本人名だけだ。

 その他オススメのサイト

  • 議論のしかた
     名のとおり、議論のしかたを解説するサイト。是非見ておきたい。議論する際に必須の知識が載っている。基本的なこともあるが、それさえ知らない、守れていない人が多い。例えば「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」
  • 本当に考えたの?
     作家森博嗣さんのコラム。手厳しい言葉だが、胸にとどめておく。
文体あるいは調子と呼ばれるもの
 文体とか文の調子とか呼ばれるものがある。この文章では「だ」で終わる、いわゆる常体だが、「インターネットの文章の質」では丁寧語を使っている。こちらは敬体という。
 文の流れにも注目してほしい。この文では、文章と文章の切れ目がはっきりしていて、一つ一つが短い。簡潔な調子だ。敬体で書いた方は、文の繋がりがなだらかだになっている。流麗な調子だ。これは区切りのはっきりしやすい「だ」を「であります」に変えた事が、一番の要因だと思う。
 常体だから簡潔な調子、敬体だから流麗な調子とは言えないが、敬体の方が流麗な調子に適している。この調子は書く人の感性とか気質とかに関係していると思うので、無理に考えて書くことはない。
 それぞれの味がある。一概にどちらが好いとは言えないが、流麗な調子の方が国語本来の味を備えていると思う。
 明確に違いを知りたい人、文体を参考にしたい人は簡潔な調子では森鴎外、流麗な調子では泉鏡花が青空文庫で見られる。個人的には簡潔な調子で志賀直哉がオススメだ。こちらは購入するしかない。古典が好きなら源氏物語も好い。流麗な調子の最高峰だ。
インターネットの文章の質
 「304 Not Modified」「はてブ整理用エントリ」を見て。

 インターネット上の文章は質が低い。本と違って、厳しい審査を通過せずとも簡単に情報発信ができるからであります。しかし中には、「これは」と思うものもある。こちらでは好い記事をまとめてありますが、特に「神エントリ」内はどれを取っても見ごたえがあります。
 一見して日記・コラムを書くブログが多い。こういうサイトは、ついつい倦厭しがちですが面白い記事を書くブログもないことはない。問題は記事の質は高くても、他の分野と混じって目的のものを見つけづらいことで、例えばこの記事は質も高く、ブログの作り方とでも言ったサイトに載っていそうな内容でありますが、日記・コラムのブログに書かれています。
 こういう、多くの記事にまぎれてしまった質の高いものを、分野別に取り上げてまとめたサイトがあれば便利だと思います。上の例なら、同じような記事をまとめて整理すれば、ブログの書き方のサイトが出来上がります。
 近いのにニュースサイトがありますが、絞る分野が大きい。大手ほどそういう傾向が強いようであります。無数にある記事から、一つのテーマに絞ってまとめるサイトがあれば多くのコラム・日記系のサイトが日の目を見ることになりましょう。
 趣向が違いますが、今一番近いのはニュー速クオリティであると思います。このサイトは「2ちゃんねる掲示板」に焦点を当て、一つのスレッド(*1)をまとめて記事にし、分野別に分けてあります。わざわざ掲示板を巡回せずともここで面白いスレッドを見られるわけです。これをブログに適用できればいいのですが、記事の収集と選別が困難でありましょう。
 多くの日記・コラム系ブログは埋もれていますから、関連した記事を探すにはトラックバック機能(*2)を活用するのが手っ取り早いと思います。
 この記事を書く機会と有用な記事を得られた「304 Not Modified」にリンクを張っておきます。ありがとうございました。

 記事内注釈
(*1)スレッド 掲示板上のある話題と、それに関する投稿の集まり。
(*2)トラックバック機能 関連した記事と記事との間にリンクを張る機能。
書けるように書く
 ネットを見ていたら面白い記事があったので紹介する。文章の極意という記事で、前に書いたのと同じタイトルだ。それで知った。
 内田百(ひゃっけん)は夏目漱石門下の小説家だ。読んだことはないが、中々面白いことを言っているのでこんど小説を買おうかしら。
「『……思つた事が書けぬと云ふのでなく、書けぬ事を思つてゐるのです。』
 筆者はこの一節を読んで思わずのけぞった。」
 なるほどと思った。時々、大作を書こうと意気込んで書き出せない人がいるが、この説の典型的な例だ。すごいものを書こうと思っても、技量がないのはどうしようもない。書けるように書くしかない。
 もちろん百は技量の低いのに甘んじろと言っているわけではない。文章は地道に鍛錬を積んでいくものだから、高望みをしても無駄だということが根幹だ。
 この説は文章の技巧に優れている人にも当てはまる。文章の限界を忘れて、自分の考えを何から何まで伝えようとしている場合だ。おおまかには伝えられても、細部の微妙な意味合いまで完全に表現することは、言葉には荷が重い。
  みんなでつなごう相互リンクの輪
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